[UNMANNED 無人駅の芸術祭 / 大井川2024]

2025215日(土)316日(日)10:0016:00

静岡県島田市川根町抜里エリア他鑑賞無料

春待つ集落と芸術の晴れの舞台

静岡県島田市と川根本町という

2つの市町で開催を重ねる芸術祭。

静岡県中部を流れる大井川とともに生きる地域において2018年より開催してきた「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川」開催エリアにおいて、2024年度に実施した「地域×アート」プロジェクトの成果発表展を開催します。

アートは、様々な化学反応とともに集落の日常に降り積もり、芸術祭の会期を越えてなお、新たな集落の姿が浮かびあがってきました。そこで本年度は、アーティストが3つの異なる視点から地域と混ざりあうAIR事業(アーティスト・イン・レジデンスプログラム)を展開しました。「地域農業と芸術」「国際関係と芸術」「企業活動と芸術」。アーティストによる創造的思考と行為が、地域固有の生活や活動と混ざり合い、アートはより深く集落の日常の中に及んでいます。

AIR事業の成果発表展を軸に、芸術祭に端を発し住民が山道を構築した「ART TRAILプロジェクト」は、集落とアートとが共に歩むリアルな過程を感じていただけるはずです。

集落の日常にアーティストが媒介し、ともに創作に汗を流し、アーティストと住民とが互いを理解することで、集落は内発的に変化をしています。集落はもっと変化していくことができる。だからこそ今、私たちの芸術祭も地域の未来に向けた変化が必要だと考えます。今後、さらに濃度と深度を深めた世界に誇れる地域芸術祭の在り方を模索する1ページの年としていきます。
(大石歩真・兒玉絵美/総合ディレクター)

Event

Artist

A:ぼいんぼいん山ART TRAIL PROJECT(permanent作品)

B:大井川国際アーティスト・イン・レジデンス

D:半農半アーティスト・イン・レジデンス

E:地域におけるアートプロジェクトの推進によるアートと経済社会の好循環構築に係る実証事業

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主催 : NPO法人 クロスメディアしまだ
総合プロデューサー / ディレクター

大石歩真 兒玉絵美

 

忘れかけてしまった記憶を探して

UNMANNED(アンマンド)は、無人の、という意味。この芸術祭は、現代社会を象徴する「人が存在しない=無人」に対して、逆説的に問いかけ「希望」のプロジェクトとするものです。

かつて、宮本常一は以下のように投げかけました。

一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではなかろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立ってみることも必要ではないかと思う。『忘れられた日本人』より引用

それから半世紀。集落が町を、町が都市を目指し、地方の風土の上は「都市のような」霧でおおわれ、先進と後進の時代を経た社会はのっぺらぼうの風景に見えています。行き交う人々には目も鼻も口も無く、「人間」という存在が消えつつあります。

わたしたちは、「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川」において、2つの無人をテーマとしてきました。

1つは「地方の無人化」です。芸術祭の舞台である静岡県島田市と川根本町の無人駅エリアも過疎の進行とともに無人化へと歩んでいます。大地を耕し、森を守り、大井川の恵によって生きる、そうした生活様式が成り立たない社会が目前にあります。

2つは「都市の無人化」です。地方では町中に、全国では大都市に人口が集中し、巨大な情報化によりこれまで人間が担っていた様々な場所が加速度的に無人化しています。
地方における過疎化、都市における情報化・効率化、同時に無人化が進む現代において、無人駅というフィールドが日本そのものに見えてきます。人が減っていく、その象徴的な場所が、鉄道駅の「無人駅」だと考えます。

当エリアの無人駅は、無人となっても地域住民が花植えをし、週末にはおもてなしの場となり、小さな本棚を設置したりとパブリックとプライベートの曖昧な余白を上手に行き来しながら人の手が感じられる空間として存在しています。そしてその先には、そんな無人駅の持つあわいを纏うような形で集落が広がっていきます。

集落に住む人々は土地に根ざした風習を大切に、自然に寄り添い生きています。普通のじいちゃんが驚くような技術と知恵を持っていること。それぞれの性格、得意、不得意なことも含めて役割がゆるやかにあり、取り残される人など誰一人いない形で集落が回っていること。そこには、脈々と生きてきた人間の存在の軌跡が今も変わらずあり、それは、現代社会が無くしかけてしまった「記憶」「風景」「営み」です。

集落とアーティストは、滞在制作の中で様々な社会的交換を自然に行っています。その交換はお金の価値などでは計り知れない気持ちの交換。義務ではなく互いへの尊敬から生まれます。その過程で生まれた絆が会期を超え集落の日常に様々な化学反応をもたらしはじめています。アート回廊づくり、耕作放棄地が作品になったり、アーティストが集落とのハブに変容しつつあります。

確かに人は減っていく。減っているから地域は消滅するのか。我々はそんなことはないと断言できます。
このゆるやかな信頼関係と、アーティストの地域深く掘り起こす予測不能な視点により、集落の枠はあわくなり輪と層は無限に広がっていると感じます。
無人と呼ばれる場所がひらかれていく姿は1つの奇跡と呼ばれるかもしれない。
我々はこの希望のプロジェクトの歩みを止めることなく進みます。